![]() |
|
|
|
第5回子どもの幸せと平和を願う音楽会 2001/06/24
|
|||||||
国境と言葉の壁を越え、手を取り合った子どもたち
2001年6月24日(日)愛知県勤労会館において開催しました、第5回子どもの幸せと平和を願う音楽会「ぞうれっしゃがやってきた」国際交流コンサートは、おかげさまで重要な成果を生みだし、新たな出会いをいくつもつくり出し、満員の観客の中で大成功のうちに終わることができました。私たちの無理なお願いに応え、趣旨にご賛同いただき、ご支援・ご協力いただいた皆様方には心からお礼申し上げます。ありがとうございました。 さて、今回の音楽会のねらいは次の3つでした。 |
|||||||
|
|||||||
|
まず、言葉の壁を越える演奏という点では、合唱団内に演出グループを作り、照明や大道具などのないタイスタディツアーでもやれて、なおかつ言葉が通じなくとも中味をしっかりと伝えることができること、を目指して考えました。
そして考えたのがどこへでも持っていける1枚の布による表現でした。タイのイメージカラーでもある赤・青・黄・緑などの原色のTシャツに、表が象色、裏が世界各国の国旗の布を場面ごとにつけ、フィナーレにはその布を使って舞台いっぱいにでっかく可愛いぞうさんの顔を作りだし、観客をあっと言わせる楽しい仕掛けも考え、見事に成功しました。 また、象の鼻や象列車の車輪などをボディアクションや合唱隊の動きで表現したり、日本に来て間が無く日本語が不自由な人のためにコンピューターによるひらがな字幕もつくりました。 次に日本国内での国際交流を広げると言う点です。国際交流というと、すぐに海外へと目がいきますが、日本国内にももっと交流を広げ、理解を深め合わなければいけない多くの人たちがいるということが、コンサートの取り組みを通じてよく分かりました。 まず、在日の朝鮮半島の人たちや子どもたちがいる朝鮮学校、南と北と日本の若者同士の合同の取り組み「ハムケの会」に働きかけをしました。国際センターに集まる様々な組織やボランティアのグループにも顔を出しました。 タイ料理講習会で知り合った日本に暮らすタイ人から広がったタイの人たちとの交流、私の勤める夜間高校などに通う海外からの生徒が日本語を学ぶ日本語学校への働きかけ、日本に住んでいても日本の学校に通えないフィリピンの子どもたちを支える国際子ども学校、団員として参加してくれた韓国の李さん家族やそのつながりで広がった日本への留学生とその家族の会「コスモス会」、テレビの報道で知った外国人労働者と日本人の共存する豊田の保見団地での子どもたちをサポートする「夢の木教室」、まだまだたくさんのところに「ぞうれっしゃ各国語バージョン」をもって歌って交流してきました。 また、働きかけながらそこでの出会いが新しい各国語訳を生み出したりもしました。京都にある「タイ音楽研究所」の福田明子さんにタイ語、団員の李貞華さんに韓国語、フィリピンの「国際子ども学校」のネストール先生にタガログ語、団員の神田さんのおかあさん、岩田芳子さんと、団員の筒井さんの友人、中国人の黄翠色さんに中国語、私の学校に通うブラジルの山崎カシウスくんにポルトガル語、団員の河崎さんの友人、太田恵子さんにスペイン語、「コスモス会」に来ているタンザニアのムキラハ・イディさんにスワヒリ語、団員の森さんの友人、生田久明さんに英語、というようにみんながそれぞれのつながりの中で、各国語バージョンを作っていきました。 海外のさまざまな言葉を一つのメロディに当てはめるのは大変でしたが、言葉のニュアンスやアクセントなどを聞きながら、また訳詞者に教えていただきながら作ってきました。 音楽会のフィナーレでは、この各国語バージョンをまさにその国の人たちに舞台に上がっていただき一緒に歌い交わすことができました。音楽会では大変多くの海外の方々に見ていただくことができ、日本であった戦争中の実話、私たちの思い、などを伝えることができました。 日本からの出し物は大人と子どもによるロックソーラン(三味線とシンセと歌による生バンド)と学生の民族舞踊団「おんぶ」、そしてタイスタディツアー合唱団の演奏でした。特にロックソーランを舞台中央、車椅子の上で激しく踊りきった西村公志くんの姿には大きな感動を覚えました。 指導に当たった脇谷直樹さんの「どんな人でもみんなが参加できるロックソーラン」にしたいという思いがしっかりと表れたステージになりました。 地雷で傷ついたゾウ、モタラのいるタイの「FAE象病院」支援についても、現地のソライダ・サルワラ女史から象病院のオリジナルキャラクターの支援Tシャツ制作を許可され、いろいろな形での募金活動を行いました。 ソライダ女史は、6月24日当日、オーストラリアのシドニーに出かけていて、こちらに来られないとして、次のような素敵なメッセージを届けてくれました。 |
|||||||
|
|||||||
|
また、今回特筆すべきことは、1949年に実際に象列車の運行に関わった国鉄の機関士、大橋欽一さん(74)との出会いです。今まで、象列車に乗った子どもや引率した先生には出会いましたが、運転された方にお会いできたのは初めてです。たまたま、朝日新聞(6月18日)に投書された大橋さんの「象列車」にまつわるご自身の体験をみて、すぐに朝日新聞を通じて大橋さんと連絡を取り、音楽会にも来ていただきました。
大橋さんは22歳の時、東京からの夜行列車で来る子どもたちを乗せて浜松から名古屋まで運転されたそうです。打ち上げにも参加して下さり、当時の思いや私たちの取り組みへの期待を、優しくしっかりとした口調で語ってくれました。翌日の朝日新聞にもコンサートの報道と併せて、大橋さんとの出会いのことを詳しく書いてもらいました。 出会いといえばもうひとつ印象的な出会いがあります。サーカスのピエロを捜していた私たちの目に偶然とまったのが、金山駅で大道芸をしていた通称「ペケ」さんでした。ペケさんにその日の練習に来てもらい、私たちの歌を聞いてもらい、ペケさんがどうしても必要だと訴えて、ついに本番への出演のOKをもらいました。 「ぞうれっしゃ」のオープニングを鮮やかな玉乗りとジャグリングで大いに盛り上げてもらえたのは言うまでもありません。私たちの熱意とペケさんの優しさの賜物でした。 音楽会の成功の勢いを受けて、打ち上げも単にご苦労さん会ということではなく、また新たな出会いを広げる場になりました。 団員や出演者、スタッフ、上記の大橋さん、司会をしてくれたCBCの和田弘志ディレクター、保見団地「夢の木教室」の井村先生、「国際子ども学校」の池住先生、ネストール先生と子どもたち、「クロアチアに象を贈る運動」の中心になっている名勤生協の脇さん、愛知学泉大学の井上先生(いま、長久手のとべないホタル合唱団に参加)の研究室のタイ人留学生、合唱劇「カネト」で知り合った「飯田線魅力発見談話室」というホームページに集まる仲間、団員がつくるホームぺージに集まる仲間、など多くの人たちが集い、語り合い交流を深めました。 打ち上げの中では、この7月に結婚される団員同士、教育を研究テーマにする研究者石原くんと学童保育指導員、上條さんとの結婚を祝う会を行い、「地球をむすんで」の替え歌「ふたりをむすんで」を歌い、祝福することができました。 また、7月11日にご主人の研究のためにアメリカに出発する李さん家族を送ろうと、韓国の愛唱歌「故郷の春」を日本語と韓国語で歌い交わしました。 そして、最後には、「ぞうれっしゃ」各国語バージョン、「小さな世界」を全員合唱しました。 そして、その時でした。まさしくこの音楽会のフィナーレとも言える場面を子どもたちが作り出しました。歌っている子どもたちが中央でみんな手を取り踊り出し、そこにフィリピンの子どもたちも加わり、今思い出しても胸が熱くなる光景が繰り広げられました。 子どもたちはごく自然にいとも簡単に国境や言葉の壁を越えてしまいました。ネール首相が1949年にインディラを日本にプレゼントしてくれたときのメッセージ「大人はすぐにけんかをするが、子どもたちは世界中どこも同じ、平和と友情を広げて欲しい」に応えているかのようでした。 私たちは、このあと8月19日〜26日のタイ音楽・文化交流・スタディツアーにむけて、また12月9日に計画している臨時教員の人たちとのジョイントコンサート・音楽会「学校」にむけて、準備を始めています。 今回の取り組みで学んだこと、出会った人々との絆を大切にして、これからもすすめていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。 2001年6月26日 愛知子どもの幸せと平和を願う合唱団 藤村記一郎
|
![]() |
|
|